フィルム写真とデジタル写真:01 [entry-title]

夜中にくだらないことを考えた。


そもそも写真を論じるときに、フィルムかデジタルかなどということ自体おかしいのである。写真は写真であって、それが記録された手段が、フィルムだろうがメモリーカードだろうが、どっちだってかまわないはずだ。

そんなことを考えていると、ふと、写真というものの定義自体が少し曖昧なように思えてきた。写真とは一体何をさすのだろうか。

フィルムしか広く普及した記録媒体がなかった時代は、写真は記録されたものがすべて写真と呼ばれた。すなわち、写真とはフィルムに記録された像であり、印画紙に記録された像でもあった。フィルムオンリーの時代はそれで良かった。フィルムは写真のためにあったし、それにしか用いなかった。

しかし、デジタル写真になってからは違ってきた。フィルムを見せられて、写真だと言われるのはいいが、メモリーカードを見せられて、写真だと言われても何となく釈然としないものを感じる。

この感覚は何だろう。

メモリーカードというものが、写真だけでなくデータ全般を保存するための記録媒体だからか。いや、それを言うなら、フィルムは写真を撮るためにあったと先ほどは言ったが、そういえば映画だってフィルムで撮影した。家庭用には8mmというものだってあった。

ではなぜ、フィルムには写真という別名があるのだろうか。

いやいや、待て。そもそも写真とは印画紙に写った像のみのことではないか。フィルムを写真と呼ぶのは私たちが混同しているだけの話なのだ。なぜ混同してきたかというと、フィルムには像があるからだ。私たちには、フィルムには写真と同じ像が見えるからだ。厳密に言うと、フィルムと同じ像が印画紙に写っているのだが、とにかく、メモリーカードに像は見えない。だから、メモリーカードは写真とは混同されずに、それ自身のアイデンティティーを保ち続けているのだ。

間違っていたのだ。私は(おそらく世間の人も)間違っていたのだ。単純であたり前のことだったが、フィルムはフィルムであり、写真ではないのだ。写真、写真と呼ばれていたフィルムは、随分と悔しかったに違いない、などとくだらないことを考えてしまう。

(たぶん、つづく)